息子が「腸重積」になった話

もうすぐ1歳11ヶ月を迎えるという、2月14日のできごとでした。

 

本職の仕事(神奈川公立高校入試の当日業務)で生徒をスクールの教室に集め、あと数分で自己採点会の始まりだというタイミングで、iPhoneが僕を呼び出した。

 

妻からのLINE電話。どうしたの?と聞くと、息子がお腹を痛がっている、とのこと。これから病院へ行く、と。

 

自己採点会が終わり、LINEで様子を聞いた。「お腹の風邪と診断されたが、定期的に痛がる。」と。

 

腸炎の再発か?でも、胃腸炎の時とは少し様子が違う。痛みを訴える声が尋常ではない。痛みが襲ってくるのが定期的である。陣痛のような感じ。その後眠りについたようだが、何度も痛みで眼を覚まし、その後大量に嘔吐したと聞いた。妻は腸重積を疑い。夜間緊急外来へ連れて行った。そのLINEがきたのは午前3時だった。

 

診察を受け、「腸重積」と診断を受けた。浣腸の結果、血便が出たことで確定した。

 

腸重積というのを、僕は初めて聞いた。

https://medicalnote.jp/diseases/%E8%85%B8%E9%87%8D%E7%A9%8D

 

 

上記URLの解説の通り、造影剤を肛門から注入していく治療を数回受けた。

「ママー!」と泣き叫ぶ子どもの声が居た堪れなかったようだった。

しかし、成功はしなかった。腸が破裂する危険性も伴うため、これ以上は不可能だという判断で、開腹手術の可能性を伴いさらに大きい大学病院へと搬送されることとなった。妻、息子ともに初めての救急車。(ちなみに、息子は働く車、救急車が大好きである。救急車で移動中はほとんど泣かなかったようだ。)

 

大学病院で、再度造影剤での治療となった。そして、幸い、治療が成功した。開腹手術を免れることができた。

 

 

…と、ここまでの展開を、僕はLINEや実際に会った時に聞いた。

妻が本当に気丈であった。実家に泊まっていたこともあり、義母がよく気づいてくれた。

僕は、その朝、11時頃病院へ到着し、ようやく息子と妻の姿を見つけることができた。

 

何もしてやれなかったことを申し訳なく思う気持ちと、しかしそれ以上に妻がしっかりみてくれていたことへの感謝の気持ち、そして息子が眠そうにしていたもののしっかり生きていることの奇跡を喜ぶ気持ちでいっぱいだった。

 

病室へ入るには、特殊素材の使い捨てガウンと使い捨て手袋を装着しなくてはならず、これらも初めて装着した。

 

しばらくして面談。看護師から、病院へ来ることになった経緯を聞かれた。妻がすべてを説明した。

お見舞いは、平日と休日それぞれ来れるか、来れるとしたら何時くらいかと聞かれた。どれくらい入院するのか不安を抱えながら答えた。どれくらい入院するのかを聞いたが、看護師からは答えられないようで、医師に聞くように促された。

 

面談を終えると、義母に抱っこされながら息子は寝ていた。

夜間同伴のできない病院のようで、息子、はじめて親のいない夜を過ごした。…心細かっただろうなぁ。手の甲に点滴刺さってるし、点滴の針が抜けないように腕全体が固定されているし、おもちゃも少ないし。…

 

2日目、面会の13時過ぎに病院へ到着。医師から、朝食は水のみだが、昼食のプリンとゼリーを完食したことを伝えられた。様子を見ていて、問題無し、直近の再発は無さそうということで、午後退院が決まった。え、もういいんだ?と思ったが、通常通りの食事をとっても良い、翌週から保育園登園も大丈夫、と伝えられた。

 

今はまだ妻の実家に泊まっているが、息子の従兄弟と楽しそうに遊んでいるらしい。明日には、妻と息子が帰ってくる予定である。

 

子どもの病気事情をもっとよく知りたい、と思った。また、病室では別のベッドで多くの子どもが入院していた。手術後の子どももいた。水を飲みたい!と泣き叫ぶが、少し飲むと吐いている子どもがいた。顔がものすごい大きい奇形の子どももいた。同じ幼児でも、いろんな境遇の子どもたちが、同じ時間軸の中で生きていることを知った。健康でいられること、やりたいことが不自由なく出来ることは尊いことなのだと心から実感した。特に何事もなく平和でいられることは、尊いのだと知った。さきほど、1歳11ヶ月となった。来月は2歳の誕生日を迎える息子。妻も息子も、みんなみんなずっと元気でいてほしい。