生徒以上に勉強し、勉強し続ける講師でありたい

以前、大学受験のために通っていたとある予備校の英語講師が言っていた言葉が今更になって刺さってきている。

 

「たかだか高校内容なのだから、大人は5教科すべてできていてしかるべきだと思う。」と。

 

自分自身のポートフォリオ拡大をテーマに考えていたときに、ふと思い出された言葉だった。

 

普段小中学生を相手にしている僕は、こう解釈し直した。

「たかだか公立中学校の学習内容なのだから、英語講師という肩書き問わず5教科すべてできてしかるべきだ。」

 

英語ならば高校入試で満点が取れる。おそらく10回やって10回満点が取れる。当然である。

 

しかし、英語講師だから、ということを免罪符に、他の教科については「頑張れ」しか言えず、自ら解こうともせず、いや解けないかもしれない可能性を抱きつつ、トップ校合格にむけて生徒を鼓舞しているのが現状である。

 

これはつまり、生徒は合格する力を持ち得るが、一方で、応援してくれたあの講師は、僕/私(生徒)よりものを知らない、力がない、もし同じ受験生だったら合格しない人だったのだ!ということになる。講師が学力で生徒に負けるのである。専門性の問題なのでそういうものだ、と反論されるかもしれないが、この安住している状態が僕は馴染めない。

 

少しばかり時間をかけてもいいから、きちんと5教科身につけるべきだと思う。繰り返すが、少なくとも専門外の教科で9割以上得点できていないと、講師自身がトップ校に合格することができない。これは痛い話だ。

 

僕自身の目標として、2019年→2021年の3年間で、公立中学校の入試レベルを想定した5教科の勉強を実施する。2019年は、数学である。ついで、第2教科の社会科をもう一度勉強し直す。

 

集団指導講師着任の1年目に、「生徒以上に勉強する講師でありたい。」とよく語っていた。今はどこへ消えたのだろうと思う。僕のアップデートはこういう原点回帰と基礎の徹底から始まると確信している。社会人になってからだからこそ勉強する意味は大いに価値を生む時代だし、大学を卒業したあとの勉強こそ生涯にわたって継続するにふさわしい質と量になる。人生を大いに価値あるものに、楽しむものにするため、僕は勉強をする。